「陸上は4年間だけ」父との約束から40年。
小野晃司が再び走高跳に挑戦する理由
番組では語り尽くせなかった、父との会話、そして妻の後押し。
静岡朝日テレビ「とびっきり!しずおか土曜版」で、35年ぶりに競技へ復帰した私の挑戦を約13分にわたり特集していただきました。父との会話、そして妻の後押しを経て再びスタートラインに立つまでの歩み。テレビ番組では紹介しきれなかった背景や思いを、自身の言葉で記録しています。
陸上競技が人生のすべてだった
学生時代の私は、生活のすべてが陸上競技でした。番組でもお話ししましたが、「何をやるにも競技に結び付けていく生活」でした。中学では全国優勝、高校ではインターハイ準優勝を2度経験し、筑波大学では日本学生チャンピオンとなり、日本代表としてアジア選手権にも出場しました。
父は大学進学の際、「陸上は4年間だけだぞ」と条件を付けて競技を続けることを認めてくれました。卒業を前に、競技者として「まだ伸びる」という確かな手応えがありました。ピークを迎える前に競技生活を終えることへの複雑な心境は今でも忘れられません。それでも、父との約束どおり大学卒業とともに競技生活に区切りをつけました。
父との会話
東京オリンピック2020の開催が決まり、入退院を繰り返していた父に「元気になったら一緒にオリンピックを観に行こう」と約束しました。しかし、新型コロナウイルスの影響で大会は延期され、翌年も無観客開催となり、その約束は叶いませんでした。
その頃、父は私にこう語りました。「もう少し競技を続けていたら、オリンピックに行けたかもしれないな。」父は、大学卒業と同時に私を会社へ迎え入れたことを、心のどこかで後悔していたのかもしれません。人生の終わりを意識する中で、その思いを私に伝えてくれたのです。父のその一言は、私の心の奥に残り続けました。そして時が経つにつれ、忘れていた感情が少しずつ動き始めました。
「やってもいいのかな。」「もう一度やってみようかな。」
番組でお話ししたように、「陸上はやっぱり好きだったんだな」という思いが、35年ぶりに私を競技場へ戻してくれました。
妻の一言
競技復帰への最後の一歩を後押ししてくれたのは妻でした。「今まで自分のことを二の次にして、会社のこと、地域のことに全力だったんだから、今度は自分のことを最優先にしてみたらいい。誰よりも得意で好きなことを全力でやっている姿を見てみたい。応援するよ。」その言葉で迷いはなくなりました。
「マスターズ陸上へ挑戦しよう」そう決意しました。
今でも家庭での食事は、競技を第一に考えた栄養バランスを最優先に、「私のためになると思って」毎日用意してくれています。その支えが、今の私の大きな力になっています。
京都マスターズ
番組では京都マスターズ陸上競技大会にも密着していただきました。この大会は、2027年5月に開催される世界マスターズ京都大会に向けたリハーサルとして気軽な気持ちでエントリーした大会でした。ところが密着取材のお話をいただき、未完成の助走や跳躍も含め、その時点でのありのままの姿を記録していただくことになりました。
完成された姿ではありません。しかし、挑戦の途中だからこそ残せた記録だったと思っています。
私が証明したいこと
学生時代、私は陸上競技への愚直な取り組みを、仕事の成果で示そうと決意しました。それから40年近く、会社経営に人生を捧げてきました。そして今、私の人生は一周しました。
今度は逆です。仕事への愚直な取り組みを、陸上競技の成果で示したい。競技で培った姿勢が仕事に生き、仕事に愚直に向き合ってきた人生が間違っていなかったことを、自分自身の競技結果で証明したいのです。
だから私は、世界一を目指しています。
今日も怪我なく練習を終えられた。そのことに感謝しながら眠りにつけることほど、今の私にとって幸せなことはありません。今回の放送を通じて、多くの方々から温かい応援のお言葉をいただきました。取材いただいた静岡朝日テレビの皆様、そして日頃より支えてくださるすべての皆様に心より感謝申し上げます。
2027年の世界マスターズ京都大会。もし自分自身が納得できる結果を残すことができたなら、今回の放送では紹介されなかった母からの手紙についても、あらためてお伝えしたいと思っています。
あの一通の手紙が、私に競技を終える決意を与えてくれました。
父の一言が、再び競技へ戻る勇気を与えてくれました。
妻の一言が、挑戦への最後の一歩を踏み出させてくれました。
それが、テレビ番組が伝えた13分。その奥にある、私の物語です。
思うように身体が動かない現実と向き合いながらも、納得して競技人生を終えられるその日まで、愚直に挑戦を続けます。
応援よろしくお願いいたします。